Column コラム

Vol.42 【リベンジ退職/沈黙の不満が「牙」を剥くとき】

かつての日本社会において、会社は「家族」であり、長年勤め上げた末の円満退職こそが美徳とされてきました。しかし、現代においてその価値観は過去のものとなりつつあります。

終身雇用の崩壊、雇用環境の流動化、そしてキャリア意識の変化により、転職は「特別なこと」ではなくなりました。こうした背景に加え、SNSの普及が個人の発信力を強めた結果、会社に対して不満を抱いた従業員が、単に去るだけでなく、「会社にダメージを与えてから去る」という報復的行動、すなわち「リベンジ退職」が急増しています。これはもはや一従業員の問題ではなく、企業の存続を揺るがしかねない重大な経営リスクです。


1 なぜ「牙」は剥かれたのか:リベンジ退職の構造と実態

「リベンジ退職」とは、従業員が組織に対して抱いた強い怒りや恨みを晴らすため、意図的に会社に損害を与える形で退職することを指します。

(1)背景に潜む「組織の機能不全」

リベンジ退職が起こる土壌には、必ずと言っていいほど組織側の問題が存在します。

ア 職場環境への不満とコミュニケーションの希薄化

ハイブリッドワークの導入により、対面でのフォローが減り、孤独感や疎外感が不満を増幅させています。

イ 人事評価への不信感

「なぜ自分が正当に評価されないのか」という思いが、会社への帰属意識を破壊します。

ウ パワハラ・過重労働の放置

理不尽な労働環境に対する「正義の鉄槌」を自分で行おうとする心理が働きます。

(2)巧妙化・悪質化する「報復行為」の手口

かつての報復は「急に辞める」程度でしたが、現代の手口は非常に計算高く、かつ破壊的です。

ア データの破壊・持ち出し

業務データの無断消去や、顧客リストの持ち出しなどが行われます。

イ 引継ぎの意図的拒否

自分しか知らないブラックボックスを作り、後任を混乱に陥れます。

ウ SNSや口コミサイトへの暴露

企業イメージを失墜させるため、内部事情を誇大に拡散します。

エ タイミングの狙い撃ち

年間で最も忙しい繁忙期や、社命を賭けた重要プロジェクトの開始直前に辞表を叩きつけます。

(3)企業が受ける致命的なダメージ

リベンジ退職は、単なる「欠員」以上の被害をもたらします。

ア 業務の停滞と生産性の低下

データ喪失や引継ぎ不備による直接的な損害が発生します。

イ ブランド価値の毀損

ネット上の批判による採用難、既存顧客の信頼失墜を招きます。

ウ 連鎖退職の誘発

報復行為を目の当たりにした他の社員の士気が低下し、さらなる離職を招く「負の連鎖」が始まります。

2 「逆襲」を選択する社員の心理と、待ち受ける代償

なぜ、自らのキャリアを傷つけかねないリスクを冒してまで、報復に走るのでしょうか。そこには歪んだ承認欲求と、社会の変化が影を落としています。

(1)フラストレーションの爆発と「SNSの共感」

リベンジ退職に走る社員は、長期間にわたり「自分は過小評価されている」「会社に利用されている」という強い被害者意識を募らせています。かつては「辞めれば終わり」と諦めていた層が、SNSで他者の「ブラック企業への復讐劇」を目にし、共感を得ることで、自分の行動を正当化するようになっています。「不満を持っているのは自分だけではない」という連帯感が、報復へのハードルを下げているのです。

(2)「退職は自由」という誤解と法的責任

「合わなければいつでも辞めればいい。どうせ辞める会社なら、何をしても構わない」という極端な考え方がベースにあります。しかし、憲法や民法で認められた「退職の自由」は、無制限な権利ではありません。

繁忙期の突然の退職や、意図的な引継ぎ拒否、顧客リストの持ち出し等により、会社に重大な支障が出た場合、民法上の損害賠償請求の対象となり得ます。また、データの削除は「電子計算機損壊等業務妨害罪」などの刑事罰に問われる可能性もあります。

(3)ブーメランとなって返る報復行為

リベンジ退職は、短期的には個人の溜飲を下げるかもしれませんが、長期的には本人の首を絞めます。

ア 再就職への悪影響

業界は狭いものです。報復的な辞め方をした事実は、リファレンスチェック(前職調査)などを通じて次の職場に伝わるリスクがあります。

イ キャリアの汚点

訴訟やトラブルを起こした人物として扱われ、優秀な人材ほどそのキャリアに回復不能なダメージを負うことになります。

3 組織を守る防衛線:リベンジ退職を未然に防ぐ実務対策

リベンジ退職が発生してから対処するのは困難です。企業は「起こさせない環境作り」と「起きた時の法的備え」の両輪で対策を講じる必要があります。

(1)「仲間」としての関係再構築と兆候の察知

社員を単なる「交換可能な労働力」とみなす組織風土は、リベンジの温床です。

ア 帰属意識の向上

適切な評価制度と配置転換を行い、「自分は大切にされている」と実感できる環境を整えることが、最大の抑止力になります。

イ 早期察知の仕組み

勤怠の乱れ、会議での発言減少、有給休暇の不自然な消化などは離職のサインです。相談窓口を形骸化させず、組織的に声を拾う姿勢が求められます。

(2)退職ルールの明確化と文書化

感情的な対立を避けるため、ルールはあらかじめ機械的に決めておくべきです。

ア 就業規則の整備

退職時の引継ぎ義務、データの取り扱い、秘密保持義務を明確に規定し、周知徹底します。

イ 資産管理の徹底

資料やPCデータの管理方法を文書化し、定期的なバックアップとアクセス権限の管理を行うことで、「データを消せば勝ち」という状況を作らせないようにします。

(3)法的リスクの周知と毅然とした対応

社員に対し、「不法な報復行為には法的な代償が伴う」ことを正しく理解させることも重要です。

ア コンプライアンス教育

情報漏洩や業務妨害がどのような刑事罰・民事責任を招くかを、研修等を通じて伝えます。これは脅しではなく、社員自身を守るための知識でもあります。

イ 事後の法的措置

実際に悪質な破壊行為が行われた場合には、残された社員の正義を守るためにも、損害賠償請求や刑事告訴を含めた毅然とした対応を検討する必要があります。

まとめ
リベンジ退職は、単に「わがままな社員が増えた」という個人の資質の問題ではありません。それは、組織の運営、人事評価、コミュニケーションのあり方が現代の価値観に追いついていないことを示す、痛烈な「警鐘」でもあります。
企業が被る損害は甚大ですが、その背景にある不満を真摯に受け止め、組織風土を改革するきっかけにできるかどうかが、企業の真の危機管理能力を問う分水嶺となります。
社員を「労働力」ではなく、共に価値を創造する「仲間」として尊重し、透明性の高い組織運営を行うこと。これこそが、リベンジという名の牙を未然に防ぎ、持続可能な企業成長を実現するための唯一の道です。


今回のコラムは、以下の顧問の方にご監修いただきました。

西岡 敏成
ジェイエスティー顧問
・元兵庫県警警視長
・警備・公安・刑事に従事
・2002年日韓W杯警備を指揮後、姫路警察署長・播磨方面本部長を歴任
・元関西国際大学人間科学部教授

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